このUターンは、安住の地を求めるためではなく、会社と家族が1ステップ上に成長するためのあくなきチャレンジです

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あっという間にこの日が来ました。さようなら東京。さようなら月島。

月島に引っ越してきたときは、まさか1 年後に宮崎に帰ることになろうとは思いもせず、オリンピックまでは住もうね〜♪なんて呑気に話していたのだけれど…笑

あれよあれよという間に状況が変わって、あっっという間に宮崎行きが決まっていました。

齋藤・田尻の両親は、宮崎移住が決まったとき、喜ぶよりも先に心配をしました。
「本当に大丈夫なのか? なぜ今なのか?」と。

宮崎にオフィスを出すことで会社にとってどういうメリットがあるのか、FAAVOにとってどういうメリットがあるのか、じっくりと話をして説明をして、納得してもらえたときにようやく喜んでくれました。

本当は子どもと孫が近くに帰ってくるだけで嬉しいはずなのに、自分のことよりもまず子どものことを心配してくれる。親ってつくづくありがたいものだし、いくつになっても親は親だなと実感したりもしたのでした。

思い起こせば、5年前、病気と大震災で続けて友人を亡くし、抜け殻のようになっていた私に喝を入れてくれたのは、他でもない両親でした。

「何もかも捨てて宮崎に帰りたい」。

泣きながら本気で親にそう言ったとき、当然喜んでくれると思っていた父は、怒った顔でたった一言私に言いました。

「宮崎はめぐみの帰ってくる場所だけど、逃げてくる場所ではないよ」と。

100分説教されるよりも、たった5秒のその一言で充分でした。

場所がどんなに変わっても、自分が変わらないと意味がないんだ。

そう気付いて、もう一回だけ東京で頑張ってみよう。そう気持ちを改めることができました。

何かを捨てて宮崎に帰るのではなく、東京で結果を残して、いつか堂々と、両親に心から喜んでもらえる形で宮崎に帰ろう。
でも、どうやって頑張ればいいんだろう…。

そう考えて立ち止まっているときに、引き寄せられるように出会ったのが、宮崎県人会や南高同窓会の人たちでした。
宮崎から東京に根を張って活躍しているたくさんの先輩たちに出会いました。皆さんの生き生きとした姿がすごく刺激になって、毎日が新しい出会いと発見の連続で、そんな中で今の夫にも再会しました。

故郷の人ってなんて温かいんだろう。

今まで気付きもしなかった、宮崎の温かさが今更ながらに身体に染み渡りました。

ちょうど夫も、その頃にFAAVOの立ち上げ準備をしていて、さぁ今からFAAVO宮崎だ!と、たくさんの宮崎人に出会っている時期でした。2人とも、東京に出てきてがむしゃらに働きまくって、ふと立ち止まって故郷の素晴らしさに気付く。そんな同じタイミングだったように思います。

今思うと、父はあのとき、私がまだ東京で頑張れる力があると信じてくれたからこそ敢えて突き放してくれたのだなと分かります。私が本当にもう無理というくらいボロボロだったらどんな状態でも帰っておいでって言ってくれたはず。父が喝を入れてくれて東京に残ったからこそ、夫にも娘にもたくさんの宮崎人にも出会うことができました。

今、不思議だけど、この状況をすごく自然に受け入れている自分がいます。もう宮崎に帰れない覚悟で夫と結婚したけれど、はじめからこうなる風に決まっていた運命だったんだなぁと妙に納得したりもして。東京を離れるのは寂しいけれど、今とても穏やかな気分です。

ただ一つ言えるのは、今回のUターンは、私たちにとって「チャレンジ」だということ。

夫は、齋藤隆太個人として宮崎に帰るのではなく、サーチフィールドの取締役として、FAAVOとFxGの責任者として、宮崎へ移住します。

宮崎にオフィスを出すことで、ちゃんと会社に利益をもたらすことができるのか、FAAVOとFxGを大きくすることができるのか、縁もゆかりもない宮崎へ赴任する職員たちを成長させることができるのか…。

今の夫は色々な重圧に押されながら、宮崎で結果を出すために必死で踏ん張ろうとしています。
これなら東京にいた方がずっと気楽だったなぁって思うほど。

少し前までは、もう少し肩の力を抜けばいいのになって思っていました。
でも、今は、人生には無理をしてでも気合いを入れて頑張らないといけないときがあって、夫にとってそれが「今」なんだと思うようになりました。人生に一度くらいそういうときがあってもいいなと。

最近の夫はとても忙しそうで、自分に負荷をかけているのだけれど、でも家にかえれば娘がいるから大丈夫。
娘の笑顔さえあれば、夫の疲れは即吹っ飛ぶ仕組みになっているようなので笑。

「東京の2号店ではない働き方」。まさにそれを実証するチャンス。宮崎に移転することで、FAAVOや会社の企業価値そのものを上げて、会社にも社会にも地域にも商店街にも貢献できるように。

私自身、FAAVOとFxGがこれから宮崎でどんな化学反応を起こしていくのかを見るのがとても楽しみです!!

この1年、ジェットコースターのような激動の日々でした。でも、夫は言ってくれました。

「めぐみと一緒にいれば、人生を見失わずにすむ」と。

その一言だけで、齋藤家はどこに行っても大丈夫だと、支えあっていけると確信しました。
またすぐ東京に戻ることになっても、場所はどこでも、基本的に家族が健康で笑顔でさえいられれば大抵のことは何とかなる。

妻として、母として、1人のライターとして。

私にできることを精一杯やりながら、新しい宮崎生活をめーいっぱい楽しみたいと思います!新しい自分の可能性にチャレンジするという前向きな目標を持って故郷に帰れることを幸せに思います。

「場所がどんなに変わっても、自分が変わらないと意味がない」
父が授けてくれた教えがあるからこそ、今までとは逆に、私たちは東京でも宮崎でも同じように頑張っていくことができます!!齋藤家、エイエイオー!!

まずは、赤ちゃんを無事に産むーーーー!!!!!!!!

齋藤めぐみ

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コメント

    • Jiro Shima
    • 2016年 11月 05日

    宮崎での活躍を愉しみにしています。
    新しいステージ,The Saitous’ phase2 ですね(^_−)−☆

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