私とミュージックセラピー

父が医師、母が看護師という医療者一家に育った私。
3歳からピアノを習っていてそれなりに結果を残せていた私。

将来は、看護師か音楽かどっちかの道に進みたいな〜と
小さい頃から何となく思っていました。

中学生のとき、先輩が「ほら、たじりにピッタリな仕事見つけたよ!」と
雑誌を持ってきて見せてくれた先にあったのは、「音楽療法」という文字。

その記事は、リハビリに音楽を取り入れることでよりその効果があがる、という記事でした。

医療に音楽を取り入れる。

そんなこと考えたこともなかった。

私と音楽療法の突然の出会いでした。

それ以来、音楽療法に憧れをもつようになったものの、
当時はパソコンなんてないし、ネット情報もない時代。

宮崎は専門書も少なく、
果たしてどうやったらその音楽療法というものに関われるのか、
まったく分からず・・・。

大学への進路を決めるとき、思い切って音楽の先生に相談したところ、
「留学しないと無理だ」
と言われ、アメリカに行ってまでなるほどの勇気はないな〜と諦め、
地元の看護大に進んだのでした。

でも、心のなかにず〜っとくすぶっていたのは、音楽療法のこと。

大学に進学して、ようやく我が家にもネットというものが搬入されました。

情報が少ないなかで、必死に色々調べたところ、
ある一冊の本に出会いました。

それが「theミュージックセラピー1号」でした。

通販なんて知らない私は、わざわざ鹿児島まで車を走らせ、
その本を購入しに行きました。

そこには、音楽療法を生業として活躍されている方々の様子が
生き生きと描かれていました。

私は、もうそれにすっかり魅せられ、それのとりこになってしまいました。

一大決心をした私は、両親に懇願して、喧嘩したり困らせたりしながら自我を押し通し、
ついに看護大をやめて京都の大学を受験しなおすことにしました。
(この頃の両親や親友たちの寛容さには今でも頭があがりません)

一生懸命勉強したものの、足りなかったのか、第一志望の学科には落ちてしまい、
併願の短大に合格。

それでも京都に行けばなんとかなる!

若さ故のよく分からない自信とともに、強行突破で京都の短大に進学しました。

いざ、京都の大学へ進学し、短大に通いながら音楽療法の勉強をはじめたはいいものの、
思いもよらない現実が待っていました。

政権交代により、音楽療法国家資格化計画は頓挫。
数年前の勢いはすっかりなくなり、ほとんどがボランティア状態。
音楽療法で食べて行ける人間は、ほんのほんの一握りだと。

ほんの少しでも音楽療法の勉強ができてよかった。
短大を卒業したら宮崎に帰って就職しよう。

そう諦めかけたそのとき、
「めぐみが好きそうな本見つけたから買ってきたで!
 いつかこれにめぐみの名前が載るとええな!」
と嬉しそうに本を差し出してくれた友人がいました。

そう、それは「theミュージックセラピー5号」だったのです。

私は驚いたと同時に、この本をネットで見つけて鹿児島まで行ったときの気持ちを鮮明に思い出しました。

みんなに迷惑かけて、悲しい思いさせて、大学やめてまで京都に飛び出てきたのに、このままじゃ帰れない。

一念発起して、音楽学部のある大学の編入試験を受けることにしました。

それを決めたのは、なんと願書〆切の当日の夜中。

友達がみんなで協力してくれて、大学に願書を取りに行ってくれて、志望動機とかも一緒に考えてくれて添削してくれて、大学まで車で連れて行ってくれて、ぎりぎり提出完了。

そこからは、死ぬほど勉強に明け暮れる日々でした。
寮で勉強しているときは、いつも寮の友達が一緒に徹夜の勉強を付き合ってくれました。

そんなこんなで、ぎりぎりながら見事合格。

みんなの協力のおかげで、綱一本繋がった状態で、私は京都に残ることになりました。

それから2年。

なんと、素晴らしいご縁とタイミングに恵まれて、
横浜の施設で正採用の音楽療法士として働けることとなったのです。

自分が「ほんの一握り」の一人になれるなんて。
天にも昇るような気持ちでした。

私は迷うことなく上京。音楽療法士として働きはじめました。
ところが、先方の事情により、現場で音楽療法士を続けることが難しくなってしまいました。

もう仕事をやめて今度こそ宮崎に帰ろう。

そう思ったとき、私を引き止めてくれたのは従兄夫婦でした。

「東京で一緒に暮らそう」

私は従兄の家に居候して、東京に残ることになったのです。
でも、もう音楽療法の仕事は無理だろうな、そう思って諦めていたとき、
ある電話が舞い込みました。

「本当は今募集してないんだけど、うちの理論書企画開発課で働きませんか」

それは、なんと信じられないことに、
『the ミュージックセラピー』の編集部がある課だったのです!!!

運命的に私を導いてくれたこの本を、私が作る。

そんなまさかの展開にドキドキが止まりませんでした。

この本の編集に携わるようになって、とてもたくさんの方々に出会いました。
今まで本で見ていた人たちに名刺を渡してお話を聞いて、記事を書いて・・・。

自分が熱心に読んでいた本だから、読者の求めるものが何か分かりました。
生意気なくらい意見をだして、ひらすら仕事に没頭しました。

取材でお会いする方々からは、とても多くのことを学びました。
みなさん揺るぎない信念を聞いて、あなたはどうですか?と問われ、
脳みそが沸騰するくらい毎日いろんなことを考えました。

この出会いは絶対に運命だった。
誰か分からないけど、もし私の運命を決めている人がいるんだとしたら、その人に心から感謝したい。

ミュージックセラピーは残念ながらその後廃刊になってしまいました。
でも私は、いつか、これを復活させたいと思っています。
誌面でなくてもサイトでも、同じクオリティーのものは作れるはず。

今はそのための準備期間。
今の私では何もできないから、もっと力をつけて、経験を積んで、
いつか必ず音楽療法の世界に戻ってくる。

いま、原点に立ち返る意味もこめて、このムックをもう一度読み返すことにしてみました!!
いい記事があったらまたアップします(*´ー`*)
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