今日のインタビュー記事は、密かにファンの吉田豊さん。(密かにする必要はないんだけど笑)
吉田さんが知的障害養護学校高等部36名による器楽演奏を指導したときのお話から始まりました。
「学校の記念行事に、息の詰まるような緊張感のなかで臨んだ演奏。
みんなで歌い、電子オルガンや小太鼓を合わせ、木琴鉄琴などを増やしていく。
技術的には拙い演奏。だが、音楽としての魅力は損なわれるどころか、彼らのひたむきさや純粋さが強く音に表れ、障害の垣根をいともたやすく超えて人々の心に染み渡った。
演奏を終えると、会場全体の張りつめた空気とそれを一気に破る賞賛の拍手が鳴り響き、聞く人々の感動が強烈に伝わってきた…」
想像しただけで鳥肌モノの瞬間です。
静寂を打ち破る拍手(きっと親御さんたち)と、それを受ける子どもたちの満面の笑み。
そして、指導を続けてきた先生の感動。
音楽を通じて会場が一つになる一体感が私も大好き。私が音楽から離れられない大きな理由の一つでもあります。
吉田さんは、子どもたちに「教える」ことをしません。
子どもたちは一緒に音楽を楽しむ仲間の一人。
わざわざ指導しなくても、自ずと一人ひとりの表現は生まれてくるし、それは意外性と即興性に満ち、例外なく楽しく、おかしく、心にしみるもの。
一人ひとりが自分の「音」を持っていて、それをどう感じ、どう返していくか。
吉田さんは子どもたちと音楽のキャッチボールを楽しみ、それが結果として素晴らしい演奏へと繋がっています。
吉田さんは集団セッションであっても、グループ全体の明るい雰囲気をベースに、
必ず一人ひとりに呼びかけ歌いかけ、その人自身の表現に焦点を当てていきます。
もちろん、みんなが反応するわけではなく、個別に近づくことさえ拒否する人もいる。
だけど、どんな反応であっても、あるいは反応が得られなくても、
吉田さんはその瞬間のその人の想いを自分なりに感じ取り、時にはわざと距離を置き、目をそらせ、お互いの気分を音に託すのです。
周りを楽しくさせる音、その場の空気には混じりようのない突拍子もない音、ためらいと戸惑いの末にようやく出されたかすかな音など、どれも素晴らしい音楽になる。
個々の表現はばらばらなのに、なぜだか全体の統一感さえも感じられるのです。
気がつけば、目に見えない「音」を共有することで、子どもと吉田さん、そして子ども同士の信頼関係は増し、出会った当初の戸惑いはどこ吹く風。
グループ音楽の真髄がここにある、と吉田さんは語っています。
吉田さんの子どもへの信頼感、自由にやらせてあげたいという愛情が、子どもたちの音をますます響かせ、美しいハーモニーへと仕上げていっているのだと思いました。
そしてこれは、私たちの日々の生活にも繋がることだと思います。
私たちはみんな自分の「音」を持っています。
楽しい音、悲しい音、不機嫌な音、無味乾燥な音、愉快な音、
そのときの気分や相手によってきっと奏でる音は変わる。
自分の音と相手の音を、きっと私たちは無意識に調和して、綺麗なハーモニーを作りたいと努力します。
時には不協和音だったり、単音だったりするかもしれない。
でも、少しずつ歩み寄って綺麗なハーモニーが完成したとき、その達成感は筆舌に尽くしがたいものとなるのかもしれません。
吉田さんと子どもたちの奏でる美しい音楽、音楽のもつ果てしない可能性に、心躍る夜でした。
(田尻めぐみ)
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