我が家には常に一輪のガーベラがあります。
正確に言うと、常に一輪のガーベラが「ありました」。
それは、7年前に亡くなった親友紀子とのこんな約束からでした。
「もし、私たちがもう会えなくなったら、めぐみのお部屋にガーベラを飾ってほしいな。特にオレンジのガーベラはめぐみっぽくて嬉しくなっちゃう」と。
自分がいなくなったあとのことを絶対に口にしなかった紀子が、「忘れないで」って言いたくても言えなかった紀子が、唯一自分の存在を残すことを私にお願いした言葉でした。
紀子が亡くなってから、私にできることはそれ以外には見当たらなくて、
毎週月曜日に小田急の花屋さんでガーベラを一本買って帰るのが日課となっていました。
でも、紀子が亡くなって3ヶ月くらい経ったある日、そのガーベラがお店からなくなっていたことがありました。
紀子がいなくなって以来ずっと続けてきたことでまだ紀子とつながっていられる気がして、
当時の私にはそうすることが心の支えのようなものだったから、
あーもう紀子はいないんだ…って急に実感して、
すごく心がざわついて寂しくなって泣きそうになってしまって。
そんなとき、そこの店員さんが、私に声をかけてくれました。
「あーやっぱりいらっしゃった!よかったー。
実は今日お花を大量に買い占めて行ったお客様がいらしたんですけど、
今日は月曜日だからお客様が来るんじゃないかと思って、一本とっておいたんです。一番きれいなものとっておきましたよ。」
そう言われた途端に心がすごく温かくなって、救われたような気持ちになりました。
紀子はもういない…なんて一瞬でも考えたことを悔いました。
やっぱり紀子はいつもそばにいてくれてるんだなって。
ただ毎週レジでお金を受け渡すだけの数分のつながりで、そこに関係性なんてないと思ってたけど、
その積み重ねの中でしっかり私たちなりの「人間関係」が築かれていた。そしてそれが私を救ってくれた。
ちょっとした人と人との関わりや気遣いがこんなにも人を温かな気持ちにしてくれるんだなぁ。
世の中には優しい人がたくさんいる。
紀子はいつもたくさんのことを教えてくれて、私を優しい気持ちにしてくれる。
私も、本当の意味で優しい人間になれるように。
紀子にもらった優しさを大切な人たちに返せるように。
心からそう思えたひとときなのでした。
このエピソードには続きがありまして、あるとき私の親友でもある紀子の旦那さんが私にこう言いました。
「もともと忘れっぽいめぐみが、このガーベラを買い忘れる日がきたとき、
めぐみは本当に幸せになったってことやな」
結婚して出産した今、その言葉の意味が痛いほどよく分かります。
今、私はあえて家にガーベラを飾っていません。
「ガーベラ=紀子」という形に頼らなくてよくなったのは、私のなかでひとつの葛藤を乗り越えたから。
今の私を見て紀子が喜んでくれているだろうという確信があるから。
いつでも心の中に紀子がいるという自信を持てたから。
紀子に会えないことはもちろん身を切られそうなほど寂しい。一緒にわーわー言いながら子育てしたかったし、何かあるごとに相談もしたい。
でも、紀子が教えてくれたことが今の私に確実に生きているから、これからも生き続けるから、
もう紀子の指輪をしなくてもネックレスをしなくてもガーベラがなくても大丈夫なのです。
紀子が言った言葉で、今も私の胸に深く刻まれている言葉があります。それは、
「自分が傷ついたときほど、自分も知らずに誰かを傷つけていることに気付けるチャンス」
という言葉。
今の私の座右の銘の一つです。これが、私の人間関係を構築するにおいて、ものすごく大きな役割を果たしてくれています。
人に嫌な思いをすることがあったときは、向こうも私に嫌な思いさせてしまっている。悲しい思いをしたときは私も悲しい思いをさせてしまっているのかも。相手が攻撃的なときは、先に私が何かやらかしてるのかも。
問題が起こったとき、一つ一つそう考えることで自分を冷静に省みることができて、大切なことに気付けたりすることが多々ありました。
自分のことってつい正当化しがちで棚に上げてしまうけれど、私もすごくたくさんの人たちに許されながら生きている。それを忘れないことで、周りの人にも優しくできる。
紀子が教えてくれたとても大切なことを、私は娘に教えたいと思っています。
ママの大好きなお友達が言ってたんだよって。
そうすることが、私にできる私なりの親友への供養のひとつです。
齋藤めぐみ
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